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ドリコムさん、マジ勘弁してよー。 いやいや、今まで自分の思いどうりに使えてきただけに、 いきなり更新する時間を制限されるのはイライラします。 んで今日は実の実のない、うすーい一日でした。 一日中寝てた、今更になって暇だからブログ更新。 まじ暇である。 んで今日はなぜかストレスを感じる。 俺はなんだかんだでも嫌なことでもストレスとして受け止めることはあまり無い。 嫌なことが起きてもその場なりで解決したりすれば後には引かないたちである。 だけども、今日は些細なことに腹が立ち、いささか心労気味です。 親の喋り方が気に食わなかったりして、ここで正直に注意するもの喧嘩になって後々イライラするし。 そんなことを考えて流そうとしてもそうゆう時に限ってやたらと気に障ることを言う親父。 友達にも予定をドタキャンされ、メールでも誤られても全然気分晴れないし。 あー、今日は子供の日だしね、もう俺は子供じゃないってことか。 いいさいいさ。 なんか、こうゆうさっぱりしない日ってものあるもんだな。 #
by k2_dat
| 2005-05-05 19:08
人間的に枯渇しています。 ここ何日か、世間は黄金週間。 でも俺にはそんな感じは全然しない。 ドリコムはブッ潰れて一気に暇です。 結構ブログないとストレス溜まることを自覚。 は~、だって暇なんだもん。 遊んでくれる友達いないしさ。 みんな仕事だ、俺は暇人だ。 さっさと面接切り上げてちゃっちゃと沖縄帰りたい。 一昨日映画を見ました、DVDで。 本当は映画館で見るつもりだったのだけど、見逃していたので新作で借りました。 ☆地球で最後のふたり☆ サイトを開いたら流れる曲が映画の中でも流れる。 その雰囲気がなんともいえない浮遊感をもたらしていて良かった。 無機質な感触とポップな一面、じっくり見れる映画だった。 レンタルDVDに傷があってコピーできなかったのがショック。 こうなったらツタヤで借り直さないといけない。 今日は「恋の門」も借りだぜ、沖縄の台風の時みたいだ☆ #
by k2_dat
| 2005-05-03 01:52
最近、めっきり本読みになってきました。 過去最高に活字を追っている。 小説以外にも、専門書、新書なども。 ふと暇になった瞬間に「じゃ、本でも」って言う考えを最近するようになった。 何でだろうかー?? 積極的に自分の世界に入ろうとしてる部分が大きいかな。 実家にいると家族がいるからね、自然と一人の世界は成立しなくなる。 みんなと共有する世界から積極的に「自分を外すため」に本を読む気がした。 そう、今日そう思ったのだ。 今から三時間ほど前、駅前の本屋で立ち読みをした。 スラムダンク一億冊キャンペーンをタイアップした「SWICH」が増刷版の山積み。 それを手に取りじっくり読んでいた。 内容はともかく、みんなさんそれぞれの思いがあるでしょう。 スラムダンクが傑作すぎてブログに書くまでも無いと思うので。(それぐらい傑作だと思う。) 立ち読みをして記事や写真を一通り眼を通しおわった。 ふと我に還った瞬間に不思議な感触に気づいた。 今、まさに「戻ってくる」という意識が自分の中に働いた。 「戻ってくる」ということは「一端こここではないどこかに離れていた」ことを連想させる。 どこに行っていたか?? 今の場合は「スラムダンクノの中」。 つまり本の中ということになる。 一番大事なのは頭が切り替わる瞬間の感覚。 決してスッキリ切り替わるんじゃない。 ジワーッと現実に引き戻される感覚。 スーッと自分中に軸が戻ってきたような。 スローモーションなんだ、その時。 気持ちいです。 最近は自分を楽しむことを覚えました。 自分がどういうものを感じているのかを分析します。 自分に降りかかった感情、感覚を自分なりに冷静に客観的に。 所詮「自分なりに」の上に成り立っているのであくまでも主観であることは否定できないけど。 そうやって自分がわかることって多いと思う。 自分と向き合う時間は人一倍。 僕は人間が好きです。 自分も含めた人間全般。 って言うと大人は嫌いとかって言いたくなる「あまのじゃく的感情」も持ち合わせています☆。 「外し」の感覚を楽しみつつ、二年前から集めている雑誌「H」を買ってスタバに行きました。 窓側のふかふかソファに窓を背中に座って読んだ。 二時間ぐらい読んで、バックナンバーを一冊買いそびれていることに気づいた。 帰りに本屋によってバックナンバーも買った。 夕方になって小雨が振り出してきた。 空からの水分でアスファルトからホコリの匂いが舞い上がる。 若緑の葉っぱ、雨の匂い、生ぬるい風、まっすぐな道路。 なんだか今日は国立ってデカいなって感じた。 俺は雨の匂いが好きだ。 #
by k2_dat
| 2005-05-01 20:15
ドリコム壊れました☆ 全然使えません、投稿も閲覧も。 なんだかなー、沖縄と寸断された生活をしている俺にとってブログの存在は大きい。 唯一の情報源。 そのライフラインを断たれた思いです。 ま、そんなことじゃあへこたれません、タフガイですから☆ 無きゃ無いでやっていけるのが俺の性格。 状況はの見込みやすい、驚かない、疑問も持たない。 その状況に適応することは容易である。 良くも悪くも。 すっきりしない頭、考えることとは、 人生とは何ぞや。 、 、 、 、 、 やめた。 今考えても暗くなる。 暗くなるぐらいなら考えない方が良い。 今はそう思います。 暗闇に飛び込むほ元気でもない。 睡眠だけが唯一の開放か?? そんなことも無いと思うけど、今んとこは睡眠以外には無いかも。 最近思うことは、家族の存在は大きいと思うけど、 家にいると全くプライベートなるものが存在しないとなると、 沖縄での生活とあまりに格差が激しいことに段々嫌気が、、、、 少しは一人のリラックスタイム欲しいー 最近、図書館の時間がめっきり増加してます。 家より図書館、図書館より公園のベンチが好きです。 #
by k2_dat
| 2005-05-01 04:25
皆様、こんにちわ。相変わらず東京にします。何してるかって、自分探しです。 学校サボって、良い身分です。すいません。 さて好評か不評かは知りませんがシリーズ第二回目です。 僕とカメラのエトセトラ。今日は大学に入ってからの話です。 第二回 「作る写真・変化」 第一回では、写真に対する個人的な導入の意識と言うものを外に吐き出すことができました。僕の写真に至ったルーツだと思います。んで今回は、写真に対する取り組みの変化が生じた大学での経験から何か見出せたらと思い、書いてみます。大学に入り、とりあえず写真部に入ることはココロの中に決めていた。写真部があるとか無いとか知らなかったけど、意識は勝手に決まっていた。高校の頃から写真部には入ってみたかったけど、高校の写真部はなんか女の子ばっかでシャイな僕には近づきがたい雰囲気だったので、その思いは大学で爆発したのです。新入部員の勧誘をしない写真部の情報を何とか探りよせ、僕らの代で部長をやることになる友達を連れて見学に行った。ここで初めて、白黒写真というものに出会うことになる。 今まではラボに現像を頼めばプリントされてくることは当然だった。しかし、白黒写真はそうはいかない、と言うか全部自分でやる、それが写真部だった。全部手作業。だから色々な技術を身に付けなければいけないかった。実際、入部は早かったもののその後一年間は幽霊部員、沖縄という新しい土地で遊ぶだけに没頭して写真は月に一回ペースだった。だから部会にも参加せず一人でコソコソと写真を焼いていた。しかし、大学二年のときにヴェトナムに行ったことが写真に対する意識を大きく変えた。自分の目で見たヴェトナムの地を写真にすることに真剣になった。そしてそのときに「写真を作り出す」という意識にたどり着いた。 焼付けの時間をコントロールすることによって写真に濃淡を付ける、そうやって自分の思い描く色彩を作り出す。白黒写真は二色ではない、この濃淡をコントロールすることでいくらでもその表情を変化させることができる。それを自分で学んだときから暗室技術を積極的に学ぶようになりました。医学のY先輩がとても上手で、かなりマニアックな人だけど技術を盗みに行きました。少しづつ新しいスキルを得ることによって新たな一面を見つけることができる、学び出した頃の暗室作業は毎日が発見だった。いろいろなことに挑戦することだけで楽しかった。毎日のように暗室に入った。ノートに自分の名前が並ぶのが面白かった。このときに目まぐるしい成長をしたと自分でも思う。実際に今の写真熱が始まったのもここからだと思う。 写真の焼付けの技術を習得することで写真をより良い写真にしてやることが楽しかった。現像、増感、バライタ、RC、他にも色々挑戦した。誰かとの違いを自分に与えるためにやっていた写真、それが少しづつ変わっていった。写真本来の魅力にとり付かれたと言うほうが正しいかもしてない。自分の中での写真の重要度がどんどん大きくなってきたと言うか。写真という行為がどうやら自分の生き方の一部になってしまったようだ。時間があれば写真を求めるようになっていた、。寝ても冷めても暗室のことを考えたし、限界まで暗室で作業し、明け方家に帰ったこともあった。家に帰ったらドロのように寝た。それが気持ち良かった。 人間は何かに自信が持てるようになるとそれを披露したくなる衝動に駆られる。一種の自己顕示欲の表れである。それは写真にも同じことがあった。自己の表現方法の一つのツールとしての写真、それの小さな自信を持ち始めた僕は写真展で人に誉めてもらうことに固執した写真を出品した。万人が僕の写真に「良い」と言ってくれるような気がしていた。そんな思いで、作品を作ったことは後々になって僕は気づいた。当時は自分がこれだ!!と思ってやっていたけど、ココロのそこにはそうゆう、ある意味汚いと言うか、お利巧さん的な思考があったことに気づいた。 矛盾だと思った。個性としての写真がいつの間にか万人向けの写真になっていた。万人むけなんて誰かの真似であったり、他人を意識するあまり自分を見失っているっことを写真展の少し後に気づいた。そう、もはや写真をやっているだけでは自分の内面を表現できくなっているのだった。写真というある概念の中に、自分が最も趣を置くものを見出さなければいけなくなっていた。簡単に言うと、オリジナルを確立しろって思った。もう、一通りの「遊び」は経験した。だからいろいろに手を出すのはもう終わり。これからは自分の最も気持ちの強い写真を撮らなければならなかった。ならなかったって言うか、そうでもしないと自分がわからなくなってたのかも。そうやって段々自分の写真がわかってきた。 さて、写真に対する感情が段々温まって来たところで。今回はおしまいです。写真用語など、少々専門的過ぎてごめんさい。では、次回に続く。 #
by k2_dat
| 2005-04-28 21:27
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